まずは自分から認める


この年末、いかがお過ごしだったでしょうか?
私は10年ぶりに都内で過ごしていました。
久しぶりの都内でのお正月。TVではおめでたい雰囲気があったり、恒例の箱根駅伝を見たりして、散歩以外には外に出ないようにしていました。

直接会ってお話をするのは、スーパーのレジの方に「ありがとう」というぐらいで、ほぼ会話なし。

家族から電話連絡はきましたが、忙しそうですぐに電話が切れます。
切れた後は、なんとなく心は寂しさを感じます。

でも、いろいろ理由をつけて我慢するんですね。
「ほかの人も我慢しているから」
「自分だけじゃない」
「みんな我慢している」
「今、人に会うことを避けないといけない時期だから」

自分に言い聞かせて、感情を抑えてなかったことにします。
こういった我慢の言葉の多くは幼いころに養育者からかけられたものが多く、
TPOに合った行動をとる時や、今の社会人として必要なモラルであったり、生きていくうえで自分を律するためには必要なものなのですが、これが行き過ぎると暴走します。

例えば、
買い物やお酒、ギャンブル。人によってはSEX。
怒りっぽくなって、切れやすくなったり。
鬱っぽくなる方もいれば、夜寝れなくなる方もいらっしゃいます。

感情を我慢することで体や心に現れるものは、その人によって千差万別です。

※去年のお正月に撮影

感情は抑えないといけないとか。
誰かに聞いてもらわないといけないとか。
迷惑だからとか。
いろいろ自分の中で制約を設けて、無かったことにしたり感じないようにするのですが、
湧き上がる感情は自然現象と同じで、なかったことにはできません。

少し見方を考えると感情は心と体が「こうだよ」「ああだよ」と主張していたり、意見を言っているのかもしれません。
その意見を外部に表現するか、しないかは。自分で決めれます。

その外部に表現した感情を受け入れるか?受け入れないかは、実は相手の判断にゆだねられます。


受け取ってくれるかどうか別にして、期待している言葉があるのかもしれません。
例えば、
「そう感じてるんだね。」「寂しい思いをさせてるね。」「コロナがむかつくね。」「真面目によく頑張っているね」

人それぞれで、受け取って返して欲しいの言葉は違うかもしれません。

※去年撮影



そういった自分の欲しい言葉やかかわりに気づくためには
まず自分が感情を感じていることを認めることが必要になってきます。
心や体の主張や意志みたいなものには、言葉がありません。
なんか「もやもや」したり、「落ち込んだり」「元気ないな」という時は、いろいろと主張しているときかもしれません。

ちょっと、体をさすっていたわったり、「よく頑張ってくれているね」「いつもありがとう」とか。
「寂しいね」「コロナむかつくね。」とか
クッションをぎゅっと抱きしめてみたり、
ちょっと息を吐きながら、気持ちを吐き出してみたり
自分の中で起きていることを認めて感じていくことは、自分に対して優しい行為かもしれません。