ガッカリする


幼い時に何かできなかったり、達成できなかったとき、親や先生、周りの友人は励ましてくれたり、改善点を教えてくれたり、再度挑戦することを応援してくれたりします。
それはとても素晴らしいことですし、社会的にも推奨されることだと思います。

そして何かできなかったり、失敗したり、思うようにいかなかったとき。
励まされると、自分の気持ちは横に置いておいて
「また頑張ろう」と前向きなことを言わないといけなかったり、
達成できるプランを考えたり、やる気のある態度をしないといけなかったり。
感情は二の次において、奮い立たたせようと頑張っている自分に気づくこともあります。

どちらも自分自身の気持ちは横に置き、成し遂げることや期待に応えることに集中して、できない自分を責めたりします。
これ結構大変です。
自分の中にある自然に湧く感情を無視して、奮い立たせるので無理が生じます。

思考ではやったほうがいいとわかっていても「先延ばし」をしたり「やる気」が湧かなかったり、ほかのことが気になったり。
「やりたい」と思い込んでいることや「やるべきこと」が手につかないこともあります。

また、出来る人や成功体験の多い人は、その体験から出来ない自分を見ないようにしたり、出来ないことを受け入れなかったりして、自分の感情をさらに横に置いて見ないようにします。

今まで出来てきた体験が「そんなはずはない」と自分の感情と向き合うのを邪魔することもあります。

もちろん、優先順位も大切でやるべき時にやるべきことをするのはとても重要です。
それが充実して出来る方には、この話の関係は薄いかもしれません。
がしかし、やるべきことや他の出来事が生活の中心になり、自分の気持ちや人生とは少し距離を置いて、微妙な違和感を感じている人は、その日の終わりに少しだけ感情に向き合ってみるのはどうでしょうか?

もちろん。いい気分ばかりではないと思います。
嫌な気分は避けたいので、なんで時間を取ってまで嫌な気分を味わないといけないのか意味が分からないと思います。

感情は自分の中から湧き上がる自分だけのオリジナルのもので、二つとないものです。いわば自分自身とも言えます。
その自分の感情を無視して、外部の目標ばかりに目をやるのではなく
自分の感情にも同じように注目してあげてみるのはどうでしょうか。

先日の「物事が中途半端に終わる感覚」の後日談になりますが、その後、日常で変化が表れています。
物事は一つ一つしかできなくて、今出来る事をしている感覚が日常で増えていくと、終了後に少しだけ悲しい感覚や、
がっかりした感覚を味わうことが増えました。

微妙なため息であったり、ちょっとした胸の痛みであったり
今までなら無視していたような感覚です。
「あーぁ。」言葉にするとこんな感じでしょうか。
軽く気分が落ちる感じです。

感情には意味があって、悲しみ(がっかり)は過去を過去として終わらせていくために必要な感情といわれています。

この感情を無視しないで少し浸っていると、行動に変化が起きました。
中途半端に感じていたことが、「これはこれで完成している」と考えることができるようになり、物理的にも終わらすことが出来るようになっていきました。

具体的は床に積みあがった書類を仕分けして、仕事以外の本を処分して埃を払い、部屋を広く使えるようにして、いらない物を外に出すことができました。
今まで「やらないといけない」と思い込んでいたことが、
出来たのです。

今、自分の欲しかった平穏を確保できる空間にいることを実感できています。
これは感情を感じることができた副産物ですが、この結果に満足して感情を味わっています。