人格適応論での学び【出来る事とやらない事】


車の運転が好きで、時々レンタカーを借りて走ります。
それぞれの風景を見ながら走る時は、土地土地の違いを感じたりしながら走るで、
とても豊かな時間のように思います。

自分一人ならば、かける音楽も自由でどこで休憩しようが、どこで引き返そうが自由です。
勝手気ままに走ります。
頭にあることといえば「道中の安全」「無事に帰る事」「マナーを守る事」ぐらいです。


※二年前に撮影


でも友達や家族が乗っているときは気持ちが全く違います。
「同乗者の安全」「目的地までの時間」「帰宅時の時間」「道中の心地よさ」
「周りの車への配慮」「目的地で過ごす時間」「車中の温度」
「トイレや食事などの生理現象に対応する時間」「レンタカーを返す時間」
など、一気にタスクが増えます。

同乗者から見ると必要のない、余計なことを考えているようで、
ここに書かれているタスクのいくつかは、
「集約し効率化したら?」
と思える事かもしれません。

でも、これは運転している自分が大切にしていることで
「安全に事故をせずに全員が帰宅するために必要なこと」と考え、
集約できるかもしれないけれど、安全のためにも「やらない事」になります。

しかし、もし同乗者が運転に慣れていて、私の未熟な運転の質の向上のために
良かれと考えいろいろ口出しをしたらどうでしょう?

例えば、交差点に入る前に周囲の確認を意識したときに、
「ここ曲がるところだよ。」
「対向車線には車はいない。」
「ここは左だけ確認後、素早く入ったほうがいいよ。」「安全のためならミラーは二度見だよ。」「対向車が来たけど、距離が遠い。ここは先に入ろう」「素早く!」「相手は止まらないよ。」
等など。
など同乗者は善意と効率化で話したとします。

交差点に入る運転者の私は自分のタスクをこなすことで一杯で焦りますし、
頭に入らないこともあります。

その頭が一杯一杯になっている私を見て、同乗者が
「その余計な考えが逆に安全な運転から遠ざかっているよ」
それが事実でも言葉にされると、
熟達していない私としては、
「私ではあなたの期待に応えられないので、次回は別の人の車に乗ってください」
と同乗者を遠ざけてしまうことになると思います。

お互いに善意がベースにあったとしても
これでは感情のすれ違いから期会の損失になってしまいます。

互いの善意を無駄にしないためにも
自分が「出来る事」けど相手に「やらない事」
相手が「出来る事」と、自分が「やらない事」
を明らかにしていく必要があります。

例えば
「もしかしたら、良かれと思っていってるかも?」
とその真意を明らかにしようとしたり、
「ここでのアドバイスは一つだけにしておこう」
相手の技量をみて、ぐっと我慢したり、

能力や経験に差がある場合には
互いを理解するために、話し合う必要があるかもしれません。

こうした互いや大事にしているものの違いを知るきっかけに
人格適応論という考えかたは参考になるかもしれません。