人に優しくしたい、でも難しい時


気持ちの上では優しくしたかったり、
相手のことを思って発言しているはずなのに
口を突いて出る言葉がきつい時があります。

「なんでできないんだ。」
「これくらいできるだろう。」
「常識だよ。」
「やって当たり前だろう。」「怠けるなよ。」
「(仕事や家事のカバーをしながら)迷惑かけるなよ」

本人の中には、励ましの気持ちや心配している気持ちがあっても
口にしてしまうと、堰を切るように出てしまい。
後悔したり、気持ちの上で相手を責めたり、
言われた方は黙り込んでしまったり、言い返したり、結果として関係性が悪くなる。

「言い方が悪かったから?」
「本人に能力がある(期待している)のに。」
「社会人として出来て当たり前なのに」
「自分の方が頑張っている(我慢している)のに。。。」
「また言ってしまった。」
等など、

今回は思いとは裏腹に、強い言葉を使ってしまうパターンの一つを書いていきます。
もし、このパターンが当てはまる場合は、その優しい気持ちを表現しやすいように
自分の心に応用していってください。


一つのパターンとして「自分に厳しい」場合があります。
社会生活を営んでいると、「やりたくなくてもやらなきゃいけないこと」が、
数多くあります。
そうしたことを気持ちを抑えてやっている時、心の中では自分に厳しい言葉をかけていることがあります。

「寝てる暇などない」「今やらないと、いつやるの」「(やりたくないけど)やらないと仕事(家事)が溜まる」
実際に自分に声をかけている人もいると思います。
「頑張れ」「急いでやらないと」「(自分なりの)完璧にしないと」「仕事(家事)は一生懸命やらないと」

本人にとってはとても当たり前なので、厳しい言葉をかけていると言われてもピンとこないこともあります。なぜなら、それがその人にとって自然ですから。。。

こうして自分に厳しい言葉を掛けていると、同じように他人にも厳しく言葉を投げかける事があります。
自分に掛けている言葉と同じ意味の言葉や態度をとってしまうんですね。

もし、冒頭に書いたように人にやさしくしたい場合。
自分の心に言葉がけている言葉を変えていくことで、
人にやさしくできる可能性が出てきます。
余裕が出てくるんですね。

これは、「自分を甘えさせる」という、ハードルの高いものではなく、
「自分に言葉を掛ける」という一人で出来るものです。

例えば、「寝てる暇がない」→「ほんとは眠い気持ちもあるね。」
「いつやるの」→「やりたくない時もある。」
「一生懸命しないと」→「手間を省く方法はないかな。」
自分の気持ちを客観視して認めるだけでも十分に優しい行為です。

何かできたとき「よくできた」「この時間内にできた」
朝起きたときに「起きることが出来た」「朝日を感じることが出来る」
トイレに行くことも今は当たり前に出来ますが、
その当たり前に出来ることに対して
「よく躓かないで動いてくれた」と、ちょっと足に意識を向けてみたり、
体にきつい言葉をかけるのではなく、少し労る気持ちで少し、さすってみたり。

自分の体や心に優しい言葉をかけられるようになると、少し余裕が出てきます。

「自分に優しくできた分だけ、人にも優しくできる」って素敵なことだと
思いませんか。

そうしたことを、いきなり24時間やるのではなく、
一日の約1パーセントの時間(約15分)使ってやってみませんか。
習慣化すると、人にやさしく接する可能性がぐっと高まります。