心の傷:過去とさよならをする


先日から、「訣別」に関してのレジュメを作成しています。
その中で、過去の出来事とお別れする出来事の一覧をまとめていると、様々なものがありました。
「自分にとって大切なものを失うこと」
「愛情や依存対象の喪失(肉親との死別や離別、失恋、子離れ、ペットの死など)」
「身体の一部の喪失」
「目標や自己イメージ、所有物の喪失」
「引っ越しなどで慣れ親しんだ環境の喪失」
こうした大きな出来事の中に

「幻想の中の存在、抽象的な存在」の喪失も対象としてありました。
これ、アイドルやアニメキャラの暴露や結婚。引退など様々なものが対象になるようです。

悲しみを共感しようとしたとき、「推しがいなくなる」というのは、あまり理解できない部分がありましたが、
心の中で大きな喪失になると考えると、理解できる部分が増えます。
推しがいなくなるという事実を認めることは、なかなか難しい事なのも理解出来てきました。

喪失から回復していく過程の最初に「事実を認める」というのがあります。
これは自分の中の気持ちに向き合うことになるのですが、これを認めるのに時間がかかる場合もあります。

事例ですが、何年も前に好意を持っていた方と映画に行ったのですが、そのチケットを財布にまだ残していました。
その方とは疎遠になりましたし、お別れも済んでいます。
でも財布を掃除するたびに、なんとなく捨てられない状態でした。
で、なんとなくでしたが、不意にそのチケットを捨ててみると
「過去の感情」が少し浮かび上がり、未消化なものが消化された感じになりました。

内容としては、いい思い出だけでなく、嫌だったことや、もう会えないことなどに対する怒りのような感情や
憐憫など、さざ波のように感情が浮かび上がりました。

些細なものも感情を消化すると
その日は思いのほか深く寝れたという体験をしました。

私たちは、年を重ねると様々なものとの決別を体験します。
「健康」「会社での地位」「若さ」「視力の低下」「物忘れ」
「友達」「環境」「友人」「家族」「社会の変化」
思いつく沢山の物を失っていきます。
そうした失ったものを否定せずに、悲しんだり、
ちょっとがっかりしたり、受け入れていくと、
今まで見ようとしていなかった
目の前の現実の良い部分が見えてくるかもしれません。