「見えないストレスに対応する2」


今までも自粛してきましたが、より一層の自粛が求めれることに色々な反応はあると思います。長く自粛が続くと様々な軋轢が生まれることが想像できます。

気楽な人と過剰な人が同じ家に住んでいると、「ちょっと飲みに行こう」「自粛だから、人もいないって」「息も詰まるよ」「うつってもしなないよ」「若いから軽傷」

VS

「うつったらどうするの」「菌がいるかもしれない」「息が詰まるなら窓を開ければいい」「周りに迷惑かけるでしょ!」「若くても重傷者はいる!」
かなり誇張して書いていますが、こういったやり取りは、どんどん増えるかもしれません。
また、こういったことが増えるといつも一緒にいる人にイライラして攻撃的になるかもしれません。

ただでさえ社会的に空気が重い感じなのに、こういったストレスが多いと二重三重に大変です。

※新井薬師小学校近く いつかの日常

気楽に考えすぎるのも、重く考えすぎるのも。
もしかしたら、正しく怖さを感じていない可能性があります。

※収入に対する不安や制度に対する不安もあるかもしれませんが、この記事では心理的な不安を特に取り上げて書いていきます。

怖さは今現実に起きていることから身を守るために備わっている自然な感情の一つです。
それが過度なストレスからうまく働かないとき、自分や人を責める形になって現れることもあります。

そのうまく感情が働かない奥にはいくつかの「推論の誤り(認知のゆがみ)」があるのかもしれません。この推論の誤り(認知のゆがみ)は10あるといわれていますが、ここでは、すべては紹介できませんので、2つだけ事例を出します。
※認知のゆがみについて詳しく知りたい方は、デビット・D・バーンズ の本もしくは認知行動療法について調べてください。

※神田川沿いの桜

1.「こうあるべき」思考(こうすべきという表現を使う)という推論の誤り

自分が自粛しているのに、人が自由にしていたり、買い占めされているのを見たり、TVのニュースやインタビューをみて、責めたい気持ちや「けしからん」という思考が湧いてくる場合

非常に非難的な表現で、罪悪感で人を動かそうとすることがあります
“~すべきだ“”~しなければならない」という考えです。

「こうあるべき」といわれた人はなんとなく罪悪感、圧迫感、怒りなどが生まれることがあります。
自分に強く課していれば課しているほど、人に対しても同じように課してしまいます。

2.結論の飛躍

※極端に書いています。
「コロナウイルスの影響で仕事が減り、私は失業して路頭に迷ってしまうだろう」「このようなウイルスが自然発生するはずがない。このウイルスは細菌兵器で他国からの侵略兵器。きっと戦争が起きる」※二度目ですがかなり極端に書いています。

などなど、その憶測が現実的でないにしても、その予測が現実に起きると想像し、その予測を事実だと考えること。
「どんなに頑張っても、試験対策をしても、僕はたぶん合格しない」
というゆがみを持っていると、不安感からこの予測が実現化することもあります。

本当は推論のゆがみはもまだ多くあるのですが、この推論の誤りには共通点があります。

出来事はそれぞれでも、それを考えているのは自分自身だということです。

自由にしている人を見て「けしからん」考えているのは誰でしょうか?
現実的ではない未来を想像して、不安になるのはだれでしょうか?

※中野通り

自分の感情や思考の反応は体や脳の中で起きています。

誰かのせいでそう思わされているのではなく、自分の中で起きていることだと認識することが大切です。

自分の中で起きているという事実を受け入れることで、このゆがみを少しずつ修正していくことができます。
それを認めることはとても勇気のいることですが、この推論のゆがみが少なくなると、感情を感じやすくなります。
感情を感じるとストレスが減ってきます。

※感情の消化については、「見えないストレスに対応する」もしくは倉成先生の本を参照してください。

もし、その感情を「言葉にしてみて」体の中にもやもやがあるなら、椅子の背もたれに体を預け、そのもやもやを外に出す感じで5~10回呼吸をしてみてください。
最初は慣れなくても、徐々に練習で上手になってきます。

正しく怖さを感じ、ストレスが減ってくると現実的な対策をとれるようになり、その現実的な対策が取れてくると、安心感が湧いてきます。

正しい怖さの時は、対策をその怖さの対象に対して十分にとると少なくなるんです。

もし、少なくならないとしたら、ほかの推論が邪魔しているときがあります。
それについて考えるのもいいですが、ちょっとだけ「傷ついているのかな」「怖いのかな」「悲しいのかな」って考えながら、呼吸を繰り返してみてください。

特に「傷つき」は相手に「いやな思いをさせられた。」とか「なんであいつのために」と考えると、なかなか認めることができません。
そうすると、ずっとイライラ怒りっぽくなる可能性もあります。

※この「させられた」「なんであいつのために」という部分がか自分の中に起きる感情を人のせいにする推論の誤りの一つです。


そうした気持ちや感情に気づきが消化できれば、すこし、こころに余裕ができ、初夏の風を感じたり、自然の移り変わりに気づけたりすることができるようになります。

※昨年の神田川花筏

現実を変えることはできませんが、同じ時間を生きるのであるならば、少しでもストレスを減らして、心地い時間を増やしませんか?

人との会話を楽しめたり、家にいる時間が増えるので勉強をしたり、人とのつながりを大切にできたり、5月までの間に出来ることを増やしていくことが可能かもしれません。