最近ある方のお勧めから写真の現像を始めました。
である方が「見せて」と言っていたので、持って行ったところ、
その写真を見ながら「ここに人がいる。」「オレンジの服を着て、ここが顔で」
と話しだしました。
ほかの写真も見ながら、「ここに顔がある」「ここにいる」と話しだします。
見えない世界のことは全く否定しませんが、
写真を縦や横に動かして
人の顔や変な所を探し、「ほら」と報告してくる姿は
少し「?」な感じがします。
疑問に思ったので
「僕には人がいるように見えないけど?そう見えるの」
と聞くと
「だって、見えるじゃない」
との返答
その人にはそう見えるようです。

※高知 伊尾木洞

風景を見たときに、どう感じたり、思ったりするかは、
その人の今までの人生体験が影響を与えます。
多くの場合、そのありのままを見ることなく、自分のフィルターを通して世界を見ています。
この人の場合、
点が三つある場所に人の顔を見たように感じて、
意味をつけて話したと思います。
こういった「普段から見ているようなよく知ったパターンを、本来存在しないにもかかわらず心に思い浮かべてしまう」現象を
「パレイドリア現象」といいます。
点と線の組み合わせを見て、笑顔や泣いているように見える現象です。
!(^^)!( ;∀;)→こんなやつです。
これも、文化の影響を受けていて、日本と海外で絵文字の違いとして現れます。
なぜこういった現象が起きるかは、
脳の機能の一つとしか分かりませんが、
私たちは文化の影響や幼少期の養育者や宗教、
本やYOUTUBEやTVの影響を沢山受けて
この世界を見ています。
この影響を受けていることがよくわかる話があります。
これは、DV被害者のためのセミナーで聞いた話で、
「男女の役割を交代して考える」というものでした。
例えば、
男性が会社から帰ってきて、
ご飯を作ったり家事をしたりしていたら
「いい旦那さんね」といわれるのに
女性が会社から帰ってきて、ご飯をつくったり、家事をしても
当たり前のように感じてしまう。
こういう話を聞いたときに当たり前と思う方もいらっしゃると
思います。
では、男女を逆にして考えたらどうでしょう?
そうすると違和感を感じる方もいらっしゃると思います。
これはいい悪いを別にして、その育った家庭の影響を
受けている例として分かりやすいものです。
私も含めて、気づかないうちに物事をある一定の常識と思っているものや、
「こうなってほしい」という期待で世の中を見ています。
その常識や期待と現実の差が大きい時に、感情は自然と湧き上がるようにできています。
無意識かもしれませんが期待通りでないときに
がっかりしたり、怒ったりしたくなるのはとても
自然なことです。
そういった感情をなかったことにするのではなく、
感情を感じるのは自然なことだと受け入れていくとストレスから
少し楽になりやすくなります。
ちなみに私は猫の写真を見せたときに、
まどろむ
「人のような表情をするね」「人の生まれ変わりに違いないね」
そう話しているのを聞いて、とてもがっかりしてその場を去った後
ケチをつけられたような感じがして、悲しい気持ちが湧いていました。
ケチをつけられた感じは私の受け取り方で、その人に悪気はないと思われます。
その気持ちを感じた後に、どう行動するかは全く別の話で
その人の選択です。
私の場合は、この人には大切な写真を見せないと決めました。