「悩む」と「考える」との違い


自転車が好きで、昼間を避け、夜涼みながら走ります。
先日12時過ぎに都庁へ向かい。そのあたりを流して帰宅。
その翌日、自転車がパンクしていました。

以前なら、パンクした事実を受け止めるより「なんでパンクしたのか?」「夜、走ったからか?」
「この二年間パンクしたことなかったのに。」「なんで?」「都庁が悪い(意味不明)」
といろいろ自問自答していたと思いますが、

考えるということができるようになると
すんなりと「あ!パンクしてる」
→「がっかり(落ち込み)」
→「今日自転車屋さん空いてるかな?」
→修理
となりました。

以前なら自問自答していたと書きましたが、
これは悩んでいる状態で現状の解決ではありません。
悩みには答えが出ませんが、考えには答えが出ます。

この部分の悩みを持っている人は、自分が考えているのか。悩んでいるのかなかなか切り分けが難しく。
思考のループに入る方もいらっしゃいます。
また、固定観念にとらわれて頑固に「都庁のせい」にしたり、「夜走った自分の責」にしたり、
「自転車・タイヤ」のせいにしたり、など理由を求めてしまうこともあります。
その結果行動が遅れる。もしくは、行動を起こすのに強いパワーを必要としてしまいます。

この出来事で大事なのはパンクした事実に対してどう対処するか?
なのですが、考えることに制限がある人は、
原因を考え悩みます。
原因を考えることは、次の失敗を避けるために必要なことですが
まずは目の前の出来事に対する対処が必要になります。

考えることに対するネガティブな思い込みは禁止令決断の中の一つにもあり、
解決すると先延ばしを選ぶことも含めて、現実の対応がしやすくなります。
禁止令決断は、自分でしたものなので解決することができます。