物事が中途半端に終わる感覚


日常を送っていて、何か中途半端な感じがし、
頭の中に何らかのタスクが残っている感じがする。

こういった感覚が頭の端に残っていて、何をしてもなかなか集中できない。
いつも不完全な感じがありました。

特に何か「完成」させたい事。例えば「掃除・片付け」や「仕事のメールのやり取り」「出納帳の作成」等など
「ゴール」があるもので、そのゴールが見えてくると、
なんとなく最後までやる事に対して抵抗が出てきて、最後までできない。
こういったことが私の場合よく起きていました。

逆に出来ている事も沢山ありました。
日々の「筋トレ」や「趣味」のことなどです。
最初、この問題は感情的に「好きか嫌いか」という個人的な嗜好の問題かとも思っていましたが、
根本を探っていくと少し違っていて、「ゴール(完成)がイメージできるかどうか」が、問題になっていました。

例えば「片付け」なら色々な本がゴールのイメージを教えてくれます。
「片づけられた本棚」「床には物がない」「テーブルの上には余分なモノは置いていない」などなど、
「仕事」ならば、「メールを作成して送る」「完成した仕様書を作成する」「情報の裏を取る」「正確に伝える」などなど、概念のレベルも含めて様々なゴールのイメージが頭の中にありました。
何らかの他人が作ったゴールがあったんですね。

趣味や筋トレは「やる事」が目的でそこにはゴールがなかったし、他人の目も気にする必要はありません。
不思議なことですが「やめてもいいので、続けることができる」状態でした。

逆に社会的に出来ることが推奨されるようなことになると、途端に中途半端な感じが出てきて、最後まですることに大きな労力が必要で困っていました。

この自分を悩ましている問題をカウンセリングで解決する機会がありました。

結論から話をすると「(物事に途中は無くて、)完成している」「そして、再開したいときはいつもで再開できる」と腑に落とすことでした。

ある心理療法の考え方の一つに「私たちはやりたいことを既にしている」という考え方があります。
この考え方は社会的一般的には受け入れがたい部分もあると思います。
多くの場合が「やらされている」感覚や「やらないといけない」感覚があり、やらないことが「悪」だとされている場合が多いです。
また、それを達成するためのマニュアルやアドバイスも数多く存在します。
そういった外部のゴールに合わせて動く手段はたくさん教えてくれますが、それに従って動いていると自分の心の中にある感情や感覚を無視することになります。

こういった感情を無視しないためにも能動的に自分から望んでやっているんだ。と言い聞かせることも短時間ならばできると思いますが、これが長期間になったり、毎日のことになってくると変わってきます。


毎日やらないといけない事が多くなると、物理的に出来なくなる事も出てきますし、優先順位も変わってきます。

こういったことは、頭でわかっていても心は中々切り替わりません。
一時的には切り替わっても、何か心に「もやもやしたもの」が残ったり、心の隅で気になったりすることもあります。
気持ちの上で未完了なものが沢山あると、こうした形で心の中のスペースを占領していきます。

この感覚を思考の力で追いやることも一時的には可能でしょうが、新たな刺激が入るとまた戻ってしまいます。
なぜなら、思考と感情と行動は一つのパッケージで動いていて
一つを変えてもほかの部分が引っ張ってしまうことが起きるからです。
特に感情は無視されがちですが、それゆえに気持ちや感情が、
思考や行動パターンを新たなパターンから引き戻します。

その引き戻す感情を知覚して、根本の感情を消化することができれば新しい思考パターンや行動を手にしやすくなります。

こうして、カウンセリングの中で根本の感情を消化したので、
自分の中にある中途半端で不完全な感覚が減り、
「完成している」感覚や「また新たに初めていい」とい感覚を味わう時間が増えてきました。


この問題を解決するにあたって
カウンセリングという場を活用しましたが、感情に向き合うことが得意な方は自分で、体の感覚からヒントを見つけることも可能かもしれません。
もし、苦手な方がいたりした場合は、近くのカウンセラーに話を聴いてもらうだけでも解決の糸口が出てくるかもしれません。
もし問題を解決したい場合、何かお手伝いができればとも思います。