動機に気づく


何かをなし遂げた人の話を聞くと誰もが納得するような目標や動機を話す方がいらっしゃいます。
「世のため、人のため」「これを成し遂げることで、●●」「幼い頃からの夢でした」
そういった話を聞くと、自分も立派な夢を持たないといけない感じがしてきます。

「この資格を取ることで、多くの人に役立つ」
「将来の仕事のために」「知ることで、人生の幅が広がる」
「家族のため」

などなど、人に話しても批判されない目標や動機でないといけない感じがしていましたし、
褒められたり、応援されるものといけないとも持っていました。

しかし、自分の動機を深く探っていくと
「褒められたい」「自慢したい」とか、「優越感を感じたい」とか、
「暇だから」とか、「みんなが頑張ってるから(一体感を感じたい)」とか、
「力が欲しいい(権威など)」「自信が欲しい」とか、
まじめな人が見ると眉を顰めるものもあるかもしれませんが、気持ちが入るものがありました。
自分の欲求に近い所に気づくとやる気がわいたりします。

もし、会社に資格を取ることを求められたら「給料があがる」「役職が上がる」「ライバルに勝つ」
「偉そうに出来る」など、かもしれません。


行動しなかった理由も調べてみると面白く「力には責任がともなう」とか
「資格とっても実力が伴わないのは、かっこ悪い」
→かっこ悪いから取らない。
など、頑張ったら頑張った分だけ結果を出さないといけないとも思っていました。

もちろん、何かの資格をとって、実力が伴わないのは自分的にダサいので、
目標に見合うように努力は続けていくと思います。
が最初の動機がないと続けていくこともできません。
自分の動機を探っていくと褒められないけど、けなされもしない。
普通の動機でした。
自分にとっての自然な動機です。

もちろん。人にも自分にも納得できる目標や動機で行動できる方も数多くいらっしゃると思います。
そういった方は本当に素晴らしく、多くの方に応援されると思います。
そうでなくても、自信をもって行動ができると思います。

ただ、どんな動機であれ、勉強したり新しいことを学ぼうとしたり
行動を変容させたり、今までと違う行動をとることはストレスのかかることです。
ましてや、会社に言われたからとか、無理してやる勉強などは、考えるだけでも
嫌な気持ちがわきます。

その気持ちを認めることができたら、
今まで引き延ばしや見ないようにしていたことに対して
「嫌なことができる自分すごい!」「一問でも解けるのが凄い」
「嫌なことやってるんだから、嫌な気分を味わうのは普通だな」と
やることを認識したり、行動しやすくなるかもしれません。

もちろん。その目標が自分に合わないので辞めるということも含めて、
達成しても、しなくても、目標のことで後悔しないために、
出来ることを増やしていったり、無駄をへしたりしていくと、
意外な動機に気づいて、日常に変化が出てくるかもしれません。