楽しみの向こう側


昔から本や映画が好きで、時間があれば見ていました。
いつの間にか時間がコントロールできる本を好むになり、
現在に至っています。

コロナになってからは、YouTubeをよく見たり、
環境音楽としてよく活用しています。


見たい映画もたくさんたまっています。
「インサイトヘッド」
「エクストリーム・ジョブ」
「紙の月」
「それでも私の人生は間違っていない」
HDの容量を圧迫しています。


読みたい本もたくさん積まれています。
「52Hzのクジラたち」
「銀河英雄伝説」
「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」
「光のお父さん」
「血脈の火」
好きで買った本なのですがまだ読んでいませんし、
テレビに録画されている映画も見られていません。


言い訳はたくさんあります。
「優先的にしなきゃいけないことがある。」
「時間がない。」
「元気がない。」
等々

買ったり録画した時はとても楽しいものだったはずなのに、今は先延ばしです。
購入して2、3ページ読んで、
そのままの本もあります。

本や映画の名誉のために、
お伝えしておきますが、
それら決して面白くないわけではなく、
評価も高く、学べることも沢山あることを知っています。

ではなぜ読まないのでしょうか?
先延ばしにする理由は人それぞれ違うと思いますが、私の場合心当たりがあります。

本であるならば230ページから250ページぐらい、
映画であれば約2時間
その物語の分量は大体決まっています。


昔、とても好きな小説を読んでいる時。
ページをめくるたびにその展開を楽しみ
心が踊っていた記憶があります。


その勢いで読み進んでいくと、
だんだん後半のページがすくなり、
物語がクライマックスに近づくほどに
ページが薄くなっていくのを見て、
「あとこれくらいなんだ」と寂しく感じた記憶があります。

読んでしまえばその物語とは同じ感覚で
もう二度と会えません。
今思えばそれが悲しかったんだと思います。


当時はその悲しさと言うのをわからず、次の話を探していました。
楽しい探しを一生懸命していました。


人生の経験が増えてくると、
楽しみを見つけても、楽しいとわかる分だけ
最後に感じる物悲しさが想像できるから、
その悲しみを感じたく無いので、
楽しい事自体を先延ばしにしていました。


その悲しみに気づき感じていくまで、
楽しみを先延ばしにする癖から離れることは難しかったです。

これは自分の事例ですが、悲しさが社会的に許されない男性には心当たりがあるかもしれません。


悲しみは感じるようになると、物事に一区切りつけて、
新しいものに向かう気持ちになっていくのですが、
悲しみを感じにくい。
もしくは自分の中には無いと思ってらっしゃる方もいると思います。


進化の過程で身につけた感情には、
それぞれ意味があり、得て不得手があります。
これは気づいてトレーニングしないと
身につける事は難しいです。


感情は溜めすぎると、ストレス状態にもなりやすいです。
それには自分の状態を知る必要性があります。
そうした基本的なことを学んでいければと思います。

開催日は11月5日 13:30〜15:30
会場は中野駅周辺(参加希望者には、別途メールにてお知らせします)
参加金額は2000円になります。
要望が多ければ、zoomも並行しておこないます。

興味ある方はMessengerもしくはコメント欄に参加希望の旨を書いていただければと思います。