コロナ禍前なので、もうずいぶん昔の話になります。
千葉のコミュニティーセンターで5回コースの心理の講座をしていたことがありました。
その日の講座の内容は、「本物の感情と代理感情」という内容でした。
講座の中では、
感情は使い方を間違えることがある。
使い方を間違うと感じでもすっきりしない、ずっと残る。
ずっと残る感覚がストレスになる。
この体験が「感情を感じても意味がない」と思い込みにつながる。
その場で感じる自然な感情のいくつかは、間違って使いやすい代わりの感情がある。
自然な感情や解決感情を感じていくと、心がスッキリしやすい。
という内容でした。
講座の最初には参加者の方が、この講座から何を学びたいかシェアしてもらう時間をとります。
その時話していたことが
「お客様や子どもに対してイライラが収まらない」
「いろいろ勉強して周りに対して優しく出来るよう学んだが一時的に良くても、またイライラが溜まる」とのことでした。
イライラは本物の感情を隠す感情になりやすいものです。
悲しみを感じにくい人はイライラという感情を使いやすい傾向があります。
他にも怒りを抑えると自責になったり、疲れやすくなったり。
怖さを抑えると不安になりやすかったり、
基本的なことをお話しした後に、その方がシェアしてくれたことがありました。
「私は本当は悲しかったようです。」
「子どもの為を考えても、その気持ちが伝わらず、(子どもからは)不満ばかり出てくる。その悲しい感覚をイライラに変えていたようです。」
そう話してくれました。
次回開催時には、何名かの同僚と半休をとって参加し、その際にイライラがずいぶん減ったことをお話ししてくれました。
感情に上手に気づけたのは、普段からこの方の向き合い方が丁寧だったところもあり、ちょうどいいタイミングだったのもあると思います。
自分が得意としない感情は無いものだと思い込んでおり、内側に感じる事は難しいです。
それを感情として体験し、感じていくまでにはそれがわかるまでのプロセスがあります。
そのプロセスは、人が感じているのを見たり、その感情に対してどう対処してきたかを話してみたりとか。
自分の中の「もしかしたら?」という疑問をたくさん積み重ねていくと、プロセスが刺激になり感情に気づいていくことがあります。
中には矛盾した感情もたくさんあります。
明確に言語化できるものではなく、まだ分類もできないような感情を受け入れていく。
自分がどんな感情を感じているか、それを感じるためには人が感じているものを見る大切さもあります。
セミナーという安全な空間で自分の中にある感覚を観る機会としてお役に立てばなと思います。